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浦和地方裁判所 昭和60年(わ)1273号 判決

被告人 小倉敬三

昭一二・四・二生 便利屋

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実及び争点

一  本件公訴事実は、「被告人は、昭和六〇年九月一七日午前七時四五分ころ、埼玉県上尾市上町二丁目八番二八号小林實(当時四二年)方前庭において、同人に対し、被告人の通行の妨害になるような状態で自転車を駐車していたことから同人と口論となり、同人の顔面を手拳で数回殴打する暴行を加えて同人に硬膜下血腫の傷害を負わせ、よつて、同月一八日ころ、同人方において、右硬膜下血腫に基づく脳圧迫により死亡するに至らせたものである。」というのである。

二  被告人が、公訴事実の日時・場所において、小林實と自転車の置き方のことで口論となり、同人の顔面を両手拳で数回殴打した事実は、被告人の当公判廷における供述、第二回公判調書中の証人樽見冨一の供述部分、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、司法警察員及び司法巡査作成の各実況見分調書により、優に認めることができる。更に、司法警察員作成の昭和六〇年九月二〇日付捜査報告書、同年一〇月一六日付実況見分調書及び右樽見冨一の供述部分によれば、同年九月二〇日午後一時一五分ころ、右小林實が前記自宅で死亡しているのが発見されたことが認められ、その死因については、第三回公判調書中の証人井出一三の供述部分及び同人作成の鑑定書によれば、顔面打撲により橋静脈が切断されたことから硬脳膜下血腫が生じ、それが脳を圧迫したことにより死に至つたものであり、右顔面打撲は比較的平滑で硬固な鈍体が作用したもので、成傷器としては、手拳も充分考えられるというものであつて、被告人の小林に対する前記暴行と同人の死亡との間に因果関係が存在することは明らかであると言うべきであつて、前掲各証拠に加え、河原塚馨の検察官及び司法巡査に対する各供述調書、細野トシエの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、医師大谷昌平作成の死体検案書を総合すれば、同人が死亡した日時・場所も公訴事実記載のとおりであると認めることができる。

三  弁護人は、被告人の本件行為と小林の死亡との間に因果関係が認められるとしても、右行為は、小林の急迫不正の侵害に対し、自己の身体を防衛するため、やむをえずなした正当防衛行為であり、仮に、然らずとしても、防衛の程度を超えた過剰防衛である旨主張するので、以下検討する。

第二当裁判所の判断

一  前記各証拠に加え、大久保和子の司法警察員に対する供述調書、久保田敏の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、司法巡査作成の昭和六〇年九月二七日付捜査報告書によれば、次の事実が認められる。

被告人と本件被害者小林實とは二軒長屋に隣り合せで居住し、会えば挨拶する程度の仲であつたが、被告人は、当時四八歳で、平素から飲酒闘争を好まず、比較的温厚な人柄であり、しかも、火傷による両肩・肘関節の機能障害をもつ身障者(身体障害者等級表による級別では、三級と認定されている。)であり、一方小林は、当時四二歳で、それまで鳶や土工等の職に携わつていたもので、生来の気性の荒さに加えて、一旦飲酒すると、いわゆる酒癖が悪く、悪態をついたり、人にからむ性向があり、左右上肢に入れ墨をしていたこともあつて、被告人はもとより、近隣の者からも疎まれ、怖がられていた。その上、被告人の女友達が小林方の敷地を通つて被告人方に出入りするようになつてからは、これを快からず思い、それまで公道に出るために互いの敷地を自由に通行していたにもかかわらず、敷地境界付近に自転車をおき、被告人らの通行を妨げるなどして嫌がらせをすることが度重なり、被告人は、少なからず小林に対して不快の念をいだいていたが、同人の粗暴な性格を恐れ、何も言い出せずにいた。

被告人は、昭和六〇年九月一七日午前七時四五分ころ、自転車で勤めに出ようとした際、折から被告人方出入口前の市道が舗装及び側溝設置工事のため通行できなかつたため、やむなく小林方出入口を利用すべく同人方庭を通行しようとしたところ、敷地境界付近にあたかも被告人の通行を妨害するかのように二台の自転車が置かれていたので、これを移動しようとした。

被告人が、一台の自転車を移動させた折、たまたま小林が同人方玄関先に出ていたのを認め、それまでの同人の嫌がらせに対する不快感もあつて、同人に対し、「こんな時ぐらい気を付けて置けよ。」などと言つたところ、小林は、「なにを、この野郎」などと怒号しながら、やにわに拳をふりあげ、後ずさりして逃げる被告人に迫つたうえ両手拳で数回殴りかかり、被告人は上半身を振るなどしてこれをかわし続けたが、小林がなおも殴りかかろうとしたため、小林の右顔面を左手拳で一回殴打し、その直後、小林に両肩を掴まれたので、両肩を掴まれたままの状態で、更に、その左顔面を右手拳で二回殴打した。

その結果、小林が、被告人の肩を掴んでいた手を放したので、被告人は、その場を離れ、小林方出入口から自転車を引いて公道に出たが、その際、小林は、被告人に対して、「またそつちを通るんか。後で、おとしまえをつけるからな。」などと怒号した。

尚、右の認定事実中、被告人が、小林に対して、同人に両肩を掴まれる前に、左手拳で、その顔面を一回殴打した点について、被告人は、当公判廷において、両肩を掴まれる前には、小林を殴打していない旨供述するのであるが、捜査段階においては、ほぼ一貫して前記認定事実に沿う供述をしていること、被告人自身、本件の詳細について、時間の経過により記憶が薄らいでいる部分があることを認めていることなどに照らすと、前認定のように、小林に両肩を掴まれる前に、その顔面を左手拳で一回殴打したものと認定するのが相当である。

二  そこで、右認定事実を基礎に正当防衛ないし過剰防衛の成否について検討すると、まず小林の行為が急迫不正の侵害に当たるか否かの点については、小林が、前判示のような経緯で、被告人に対して、やにわに手拳で殴りかかり、次いで、その両肩を掴んだ行為は人の身体に対する不法な有形力の行使であるから、これが不正の侵害であることは明らかである。ところで、検察官は、被告人が、本件機会を利用して小林に対する日頃の憤懣を晴らそうとの意図から積極的に本件行為に及んだ旨主張するのであるが、前示のように、身障者である被告人と小林との間にはかなりの体力差があると認められること、被告人は、従前から小林の粗暴な性格を恐れており、同人と喧嘩にでもなれば、当然一方的にやられてしまうと考え、同人の否がらせに対しても、それまで何ら苦情などを言つたこともないこと、小林が拳をあげて近付いて来た際には、数歩あとずさりし、自ら積極的に立ち向かつた様子が窺われないこと、その他反撃行為の態様などにかんがみると、被告人が、本件犯行当時、小林の右一連の侵害を予期ないしは挑発し、これに対して、積極的に応戦した如き事情は認められず、したがつて、侵害の急迫性の要件にも欠けるところはないというべきである。ちなみに、被告人は、小林に殴りかかられた際、結果的には、それをかわして、左手拳で一回その顔面を殴打しているのであるが、同人は、殴打されても、被告人を殴打しようという態勢を崩さなかつたばかりか、更に、被告人の両肩を、両手で掴んでいるのであり、明らかに小林の攻撃態勢が崩れ去つたことを示すような格別の事情は認められないので、被告人の右反撃行為により、小林の侵害が中断したとみるべきではなく、被告人に対する侵害は相変わらず継続していたというべきである。

次に、防衛の意思の点について見るに、検察官は、前示のように被告人の本件犯行は、被告人の小林に対する日頃の憤懣を晴らす目的に出たものである旨主張するところ、確かに被告人の捜査段階における供述調書中には、身障者だからといつて馬鹿にされてたまるかという気持ちから、憤激の余り、本件犯行に及んだ旨のあたかも攻撃的意思に基づくかの如き供述があり、関係証拠に徴すると、被告人が、日頃の小林の態度に対して、憤懣の情を抱いており、同人の本件加害行為に対して憤激したことも否定しがたい。しかし、正当防衛における防衛の意思は、急迫不正の侵害の存在を認識し、これを排除する意思をいい、相手方の侵害行為に対し、憤激して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきでないから、本件においては、前示のように、ことさらに、本件の機会を利用して、積極的な加害意図に基づいたと認められる事情がない以上、被告人の本件所為は、防衛意思に基づくものと判断するのが相当である。

三  更に、被告人が小林に対してなした反撃行為が、当時の情況に照らし必要かつ相当であつたか否かについて検討を加える。検察官は、被告人が、小林が被告人を殴打しようとした際、その身体を移動させて小林の攻撃を避け、一度も殴打されなかつた点を取り上げ、小林の右侵害行為は容易に避けられる状況にあつた旨主張するところ、第三回公判調書中の証人井出一三の供述部分及び同人作成の鑑定書によれば、小林は、死亡前にはアルコール飲酒の影響下にあつたというのであり、また、「本件当時小林が酔つ払つていたかどうか覚えていないが、同人はいつでも飲んでいる人で、会う都度酔つ払つていた」旨の被告人の当公判廷における供述、更に、小林の被告人に対する殴打行為がいずれも空振りに終わつていることなどを併せ考慮すると、小林が本件当時飲酒しており、その動作もある程度緩慢であつたことも推察されないわけではない。しかしながら、小林は、被告人に殴打された直後である同日午前八時ころ、電話を借りるため、河原塚馨方を訪れており、同人は、その際の小林の様子について捜査機関に対して供述しているが、その供述からは、当時小林が酔つていたことを窺わせる事情は見出せないばかりか、河原塚は、小林は普段と変わりはなかつた旨供述していること、被告人に対して殴りかかる行為が功を奏しないとみるや、被告人を捕まえようとしてすかさずその両肩を掴むという動作に移つていることなどからみて、当時小林が飲酒していたとしても、そのために動作が緩慢になり、その攻撃力に影響する程酩酊していたとは認められないのであつて、検察官主張のような、被告人が単に身体を移動させる程度で容易に回避できるような侵害であつたとはいえず、他に小林の攻撃能力が著しく減退していたことを窺わせる証拠もない。更に、小林は、被告人に右手拳で顔面を二回殴打されるまで、肩を掴んだ手を放さなかつたばかりか、同人に肩を掴まれた際、当時被告人が着用していたカーデガンが破れたことなどからみて、小林が被告人の両肩を掴んだ力は相当程度強かつたことが推認されることからして、被告人にとつて、容易に小林の手を振り払うことができたとはいえず、加えて、前示のような小林の粗暴な性格や双方の体躯・体力の違い(小林は、身長一七四センチメートル、体重五一・三キログラムであるのに対して、被告人は、身長約一六〇センチメートル、体重約五〇キログラム余である。)などを併せ考慮すると、小林の右一連の侵害行為は、極めて短時間のうちになされた比較的強力なものであつたというべきである。被告人は、かかる小林の強力な侵害行為に対して、左右の手拳で三回その顔面を殴打し、その結果、同人を死に至らせたものであるが、小林の侵害行為の態様・程度からして、検察官が主張するように、他に右侵害を容易に回避する方法があつたとは考えられないこと、被告人の反撃は手拳による殴打行為であるが、その回数は三回にとどまり、しかも右殴打の程度にしても、身体障害によつて制約された被告人の体力や小林の顔面に負わせた傷害の程度(井出一三作成の鑑定書によれば、左口角直外側部分の二・〇×二・三センチメートルの赤紫色を呈する皮膚変色及びこれに対応する口腔粘膜の損害並びに下顎左側面から後方にかけての皮膚損傷の各傷害が認められる。)、被告人に殴打された後の小林の言動などからみて、さほど強力ではなかつたと推認されること、第三回公判調書中の証人井出一三の供述部分によれば、顔面を殴打することにより、本件の如き死の結果を惹起することは、稀ではないにせよ、比較的少ないと認められることなどに徴すると、被告人の右反撃行為は、不運にも被害者の一命を失わしめるという重大な結果を惹き起こしたとはいえ、相手方の前記態様・程度の侵害に対する防衛手段としては、未だ相当性を逸脱したものとはいえないと解すべきである。

よつて、被告人の本件所為は、刑法三六条一項に該当し、罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪を言い渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 和田啓一 金野俊男 河合裕行)

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